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成人の儀式02

成人の儀式(鴨瀬高次・綸子・清白編)

作:清白

 
 「……おおおおおっ、イイ、スゴクイイィ!!」
 先頭で猫耳をぴくぴく震わせながら、鴨瀬高次がアイロン片手に、吸血蝙蝠たちと死闘を繰り広げていた。
 何故武器がアイロンなのかと言う問いは、彼を知る者なら誰も発しない。
 『男たるもの、常にしわをとる準備をしていなくてはなりませんから』という訳のわからない答えを聞き飽きているからだ。
 奇声を上げながら、アイロンを振り回す鴨瀬高次を横目に、清白は何もせず、ただのんびりとにこやかに戦闘を見守っているだけであった。
 「ちょっ、ちょっと、清白さんは加勢しなくてもいいんですか?」
  綸子が見かねて、清白に注意する。
 「んー、だって僕がいっても余り役に立たなさそうだから。きっと、彼1人で大丈夫だと思うよ、うん」
  なんとも、やる気の感じられない返答に、綸子はやきもきする。
 吏族でもあり、医師でもある彼女は、格闘に関しては全くの素人だが、伝統的に高度な発展をとげた医術をマスターしている。
 一応、お守り程度に医療用のメスを持ってきてはいたが、余り戦闘の助けにはならないだろう。
 「……ハァハァ、な、何とか蝙蝠は追い払いましたよ。さ……さぁ、先に進みましょうか」
  息も切れ切れ、汗はべたべた、だが、何故かその半袖白ワイシャツだけは新品同様パリっとさせている。
 「ふぅ……ふっふっふ、だいぶ私たちも奥深くまで進んできたようです――――ノォォォォォ!!」
 「あ、あれ鴨瀬高次君の姿が消えた? どうしちゃったんだろう」
 「きっと、落とし穴にでも落ちたんだよ」
  絶叫とともに、鴨瀬高次の白い姿が消える。おろおろわたわたするだけの綸子と、悠然と眺めている清白。
 結局、鴨瀬高次は自力で落とし穴を這い上がるしかなかった。
 「……な、何か私だけが頑張っている気がしないでもないですが、まぁいいでしょう。これも万能執事になるための修行と考えれば……」
 「いやぁ、大変そうだね」
 「…………」
 きええええぇぇと耳に聞こえるギリギリの高音で吼えて、鴨瀬高次は清白にアイロンを押し付けようとした。
 清白はそれをふらりと避ける。バランスを崩して床に倒れこむ鴨瀬と、それを眺める清白。
 一触即発の空気が2人の間に広がった。
 「ちょっと、止めなよ2人とも。今はそんなことしている場合じゃないでしょっ!」
  綸子が肩を震わせながら精一杯の大声をだす。その手には切れ味鋭そうなメスが握られていた。
 逆らったら刺されるっ! 本能が感じ取った恐怖感に、2人は戦慄した。
 がっちりと握手し、意味もなく笑いながら肩を叩き合う。
 いやだなー、そんな本気で喧嘩なんかするわけないじゃない、と精一杯の笑顔を作る。
 ようやく綸子がメスをしまってくれたので、2人はほっと胸を撫で下ろした。
 そして実感する。
 前方の敵よりも背後の味方の方が、恐ろしい場合があるのだということを。
 
  薄暗い通路を右に曲がると、今度は大量のサル、ワニの集団が現れた。
 綸子は怯えたように一歩下がり、清白も当然のように一歩下がる。
 1人前衛に残される、鴨瀬高次。
 「頑張ってくれよ、鴨瀬くん」
 「あは……あーははははははっ! 良いでしょう良いでしょう。もう何でもやってやりますよっ!!」
  引きつった笑みを浮かべながら、サル、ワニの群れに突撃する鴨瀬高次。
 アイロンを押し付け、振りまわし、猛獣たちを威嚇する。
  だが、ここで世にも凶悪なトラップが発動した。
 ああ、何と。天井からしわくちゃになったハンカチが降ってくるではないかっ!
  常人には、何のことはないトラップかもしれない。だが、この鴨瀬高次は違った。
 彼はしわを見ると、居ても立ってもいられず、その手に持ったアイロンで伸ばしにかかってしまうのだ。
 「ノォォォォォォォっ!! これは……これはハンカチっ! しかも、しわくちゃじゃないですか。いけません、これはいけないっ!!」
  懐から折りたたみ式のアイロン台を取り出し、瞬時にセットを完了させる。
 左手で地面に散らばったハンカチを掴み、右手でアイロンを構える。
  その様子を傍観していた清白と綸子も、口には出さずとも、こりゃだめだな、と諦めていた。
 鴨瀬高次を囮にして、さっさと通り抜けちゃおうか、と考える清白。
 あ、あのハンカチ私のと同じ柄、と全然関係ないところに思考が行ってしまっている綸子。
 だが、予想も出来ないことが、彼らの目の前で起こっていた。
  左手でハンカチを台を上に固定し、右手でアイロンを掛ける。
 その信じられない速度で振るわれるアイロンは、ハンカチを伸ばし終わったかと思うと、そのままの勢いで近づいてきたサルの顔面を直撃する。
 うきゃーっと呻くサル。怯んだすきに、音速を超えた左手が新たなハンカチを掴む、そしてそれを引っぱると同時に後ろのワニに肘鉄。
 寸分の無駄もなく、残像を残しながら振るわれる彼の両手は、まさに千手観音。
 見る見るうちに、猛獣たちがノックアウトされていく。
 「何故アイロンかけをするかですって? そこにしわがあるからだぁあああっ!!」
  数分後、全てのサルワニ軍団を撃退した彼は、涼しげに台をたたみ、懐にしまう。
 「さぁ、先に進みましょうかっ!」
  爽やかな笑顔で2人を振り返りながら、一歩踏み出す鴨瀬高次。その瞬間、かちっという音ともに、天井に吊られていたバケツがひっくり返る。
 流れ落ちる青ペンキ。
 ……彼の顔は青く染まった。
 
  その後も、サルの大群やら、凶悪な野生動物やらを撃退し、低く張られたロープに足をとられたり、
 底なし沼に嵌りそうになったりと散々な目に合いながらも、3人はついに遺跡の最奥部へと達した。
 「フフフ、話によると、このあたりにサルの王様がいるらしいですが、……はて」
  顔は青いペンキまみれ、髪の毛ぼさぼさ、ズボンはぼろぼろといった、酷い格好になっている鴨瀬高次であるが、未だワイシャツにはしわ1つ付いていない。
 「誰もいないみたいだけど……、あっ、あの前方にみえるのが古代王朝の霊廟かな?」
 「の、ようだね」
  鴨瀬高次と綸子は走り出し、清白はゆっくりと歩いて、その霊廟へと近づいていく。
 かつてこの地域一帯を治めていたと言われている古代王朝の歴代の王が眠る墓。
 若者たちも、流石に緊張し、厳粛な雰囲気に身を包まれる。意識のほぼ全てが初めてみる霊廟に注がれていた。
  だから、巨大な影が近づいてくるのに、誰も気がつかなかった。
 「あ、危ないっ!!」
  綸子が声を上げたときには、清白の体が吹き飛んでいた。地面にしたたかに打ち付けられ、うめく清白。
 すぐに、綸子は彼を手当てに走り、鴨瀬高次はアイロンを構えて、その巨大なサルと対峙する。
 「……ふふふっ、不意打ちとは紳士の風上にもおけない……」
  声に勢いがなかった。なにせ、その野生のサルの王は、体長がゆうに2mを超えるかのような巨大な体をしていたからだ。
  じりじりと、鴨瀬高次は後退する。どうやって、このサルを倒すか。
 エネルギーが足りない。ああ、やはりソックスを持参してくるべきだったか……。
 
 「清白さん、大丈夫ですか?」
  即効作用のある治療によって、力を取り戻した清白は、立ち上がる。
 目の前では、サルと鴨瀬高次が踊るように、戦っている。
 「鴨瀬さんだいぶ苦戦していますよ。今回はちゃんと助けないとまずそう……」
 「わかったよ、僕だってやるときはやるんだ」
  そういい残すと、清白は悠然とサルの王に近づいていった。その少しも恐れる素振りをみせない彼に、サルの王も少し怯む。
 じりじりと間合いが狭まり、射程距離ぎりぎりのところで、威嚇としてサルの王は右手を振りぬいた。
  うひゃーっと、風圧で清白の体が派手に吹っ飛ぶ。
 「……いや、やっぱり強いねぇ」
  清白、再度のダウン。その姿をみて、鴨瀬高次も脱力。本当に役に立たない奴だ……。
  その一瞬、鴨瀬高次が気を抜いた隙に、サルの王は、後ろで隠れていた綸子に向かって突進した。
  慌てて、綸子は……手にしていたメスを投げ捨てた。
 反応が出来ずに視線で追うだけだった鴨瀬高次も思わず目をつぶる。
 「きゃんっ!」
  可愛い声で鳴いたのは、サルの方だった。
  見ると、あの巨大なサルの王が、お尻をおさえながら、きゃんきゃんと逃げ回っている。その後ろには、吹き矢で狙う綸子の姿が。
  矢が刺さるたびに、泣き声を上げながら飛び跳ね、終いには涙ぐんでしまったサルの王は、ばったりを仰向けに倒れる。
 「えへへ、こんな事もあろうかと、吹き矢を用意していたのでしたっ! あ、しかも矢の先っぽには麻酔薬を塗っといたから、結構ダメージあるかも」
 今後、絶対に綸子に逆らうことは止めよう、と心の中で誓った鴨瀬高次。
 ピクピクと、腕を小刻みに動かしながらサルは、両手で万歳のポーズ。恐る恐る2人は近づく。するとサルは右手であっちいけのジェスチャー。
 「……これは、降参ってことなのかな?」
 「そのようですねぇ。何だか、体格のわりにはあっさりだったけど」
 「そういえば、このサルって毎回毎回、ここで待ち伏せしてるのよね。やっぱり、疲れってのもあるんじゃない?」
  コイツもコイツで大変なんだなぁと思いつつ、合掌。そんな2人に背後から近づく影があった。
 「……あた、いたたたた。ひどいなぁ、綸子さん。僕はほったらかしかい?」
 腰を擦りながら、近づいてきた清白に綸子の視線は冷たい。
 「いや、だって清白さんは役に立ちそうになかったですから」
 
  じゃれあうような口論の後、3人は歩き出した。前方に見える霊廟へと向かって。
  苔むし、所々にひびが入っていながらも、その霊廟は威厳を失わない。歴史の重みが彼らを心を圧迫する。
  そして、儀式のフィナーレ。若者は、ここで己の未来に対する誓いを述べるのだった。
 「私は、幼い頃に出会ったあの人に少しでも近づけるよう、万能執事を、目指しますっ!! ビバ、アイロンっ!!」
 「僕は、うーん。そうだね、なるべく長生きしたいなぁ」
 「わ、私は、立派な医者として、国の役に立てるように頑張りますっ」
  各々の思いを口にする3人。古代の王たちの霊は、彼らの願いを聞き届けてくれるだろうか。
  
  彼らが正式に国民として出仕し始めるのは、これより数年後のことである。

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