#正義とは何か。 #1.福利の最大化(帰結主義:功利主義) #2.自由の尊重(義務・権利論:リバタリアリズム、リベラリズム) #3.美徳の促進(コミュニタリアリズム) #1-A.ジェレミー・ベンサムの功利主義 #「みんなの喜び(快楽)の合計」から「みんなの苦しみ(苦痛)の合計」を引いたものが幸せ。 #幸せが最大になるようにするのが正義。 #だから、金持ちに課税して、貧しい人に分け与えるのは正義。 #難破した船で乗員が餓死しそうになったら、一番衰弱してて身寄りがない人を殺して食べるのも、結果として他の人が助かるから正義。 #2-A.ロバート・ノージックのリバタリアリズム(自由原理主義) #人間は自己(肉体)を所有していて、その肉体で労働すれば、その成果も(不当な手段でなければ)自分のもの。 #それで得た財産も自分のもの。 #だから、貧しい人を救うために、金持ちに課税するのは所有権の侵害。 #自分の臓器や命も自分のものだから、同意による臓器売買や自殺幇助、食人を禁止するのは自己決定権の侵害。 #貧しかったり、就職できなかったりするのは、その人の努力不足で自己責任だから政府が助ける必要はない。 #2-B.ジョン・ロールズの(平等主義的)リベラリズム #自分の貧富や階級、人種、健康や容姿、所属組織などが分からない場合、どんな正義の原理ならみんなが合意するか考えてみる。 #封建主義の社会だと、貴族に生まれないと不幸だから反対。 #貴族みたいな階級制度がない自由な市場主義の社会だと、金持ちの子に生まれないと学校に行けなくて不幸だから反対。 #貧富の差に関係なくみんなが均等に教育が受けられる能力主義の社会だと、能力が高くないと給料が少なくて不幸だから反対。 #でも、仕事の成果に関係なく、給料が同じだったら、能力が高い人のやる気がなくなって、みんなが不幸になるから、不平等は許す。 #その代わり、その格差は一番恵まれない人を助けるようにすること。 #つまり、金持ちに課税して貧しい人を助けるのは正義。 #3-A.アリストテレスの目的論 #正義は目的論的。 #権利を決めるのは、その社会での行為がどういう目的・目標か考える必要がある。 #また、正義は名誉に関係する。 #どういう美徳なら、その行為に名誉を与えて報酬をあげたらいいか、考える必要がある。 #つまり、正義は、ふさわしさの問題で、その人の美徳や卓越性にふさわしい役割を与えないといけない。 #たとえば、大学のテニス・コートを使うのは、お金をたくさん払う人や学長、有名な科学者よりもテニスの大学代表チームがふさわしい。 #だから、法律も「習うより慣れろ」でそういう美徳を実践的に身につけることを目的にしたほうがいい。 #3-B.マイケル・サンデルのロールズ批判 #ロールズは何も分からない状況でどんな正義の原理ならみんなが合意するかって考えたけど、みんなが人の立場で考える他人思いの善い人ならそういう仮定を出さなくても、一番かわいそうな人を助けるはず。 #全員が利己的という前提はおかしい。 #それに何も分からないというという考え方は、個々人の生い立ち、所属する組織への責任や忠誠、連帯、同胞愛、愛郷心などが欠けているからまずい。 #たとえば、二人の子供が同時におぼれて、一人が自分の子、もう一人が他人の子で、どちらかしか助けられないとした場合、自分の子を優先するのは正義とは無関係ということになる。 #つまり、良心の要請と単なるえこひいきが区別できなくなる。 #あと、会社が悪いことをしても担当者だけ責任をとらせれば、その会社は無罪放免とは普通ならない。 #功利主義もリバタリアリズムもリベラリズムも、何が善くて何が悪いかは人それぞれ違うから、そういうことは正義とは切り離して考えるべきって思ってるみたいだけど、臓器売買や自殺幇助は道徳的にまずいから禁止したほうがいい。 #妊娠中絶が胎児を殺す殺人行為と思ってる人に、そういうのは個人の自由でやりたくない人はやらなければいい、政府は中立であるべきと言っても納得しない。 #道徳的・宗教的な問題は、その人のアイデンティティに関わるもので自由に選べないから、そういう根拠の主張も保護すべき。 #何が善いか合意できないからといって、善を棚上げして正義を決めるのはおかしい。 #3-C.マイケル・サンデルのコミュニタリアン的共和主義 #共和主義において、自己統治ができるところに自由があり、自己統治がないところに自由はない。 #自己統治とは、自分や自分たちに関係することを自分の責任において処理すること。 #だから、いかに優れた王が善政を行っても、人々が自己統治を行うことができなければ自由ではない。 #そして、自己統治のためには同胞市民と共通善についてよく考えないといけない。 #共通善とは、みんなが共有している善いと思うこと。 #同胞市民と共通善について考えるためには、社会全体に関係することへの知識や関心、所属組織(家族や企業、国家など)への帰属意識と組織にいる人々との絆が欠かせない。 #自己統治には、政治的組織の構成員が市民としての役割や責務を引き受けること、公民性や共通善という目的に意識を向けるよう養うことが必要。 #つまり、自己統治の実現には、社会全体に役立つ美徳もいるため、そういう美徳を持つための人格形成、公民的教育が必要。 #家族や会社、国家など、いろいろな組織に所属していると、その責務が対立することがある。 #たとえば、家族が犯罪者として国に負われている場合、国に家族の居場所を教えるかどうかである。 #この場合、どうすべきかは前もって優先順位を決められず、道徳的な内容や重要性、個々人の生い立ちや役割などについて、道徳的・政治的によく考えて個々に判断すべき。 #だから、公民教育の名のもとに、統一的な一般意思を国民全体に強制するのは反対。 #あと、会社が自社の名前を入れた学習教材や宣伝品を学校に配るのも、消費主義や大衆文化から距離を置いて市民を養うという教育の目的にあわないため、反対。 #国営の宝くじは、貧しい人に、公共的目的に対する犠牲や道徳的責任を持つことなく、豊かになれるという偽りの希望を与えるため、国家の収入や商業的効果、娯楽を理由に宝くじを正当化できない。 #また、裁判は犯罪者の悪徳にふさわしい罰を与えるのが目的なので、被害者の発言は、被害者の気持ちを癒すためではなく、具体的な犯罪の道徳的責任を明らかにすることだけに限定すべき。