【データから反省】 街の人たちから非難された私は、自分たちの必要性を証明しようとして大学図書館に向かった。 まず、akiharu国内におけるI=Dによる戦闘の被害を、ヒーロー協会が作られる前後で比べてみた。 ヒーローが活躍してからのほうが、それ以前よりも死傷者や街の被害総額は大きかった。 街が近代化し、人口や建物も多くなったと考え、森林の消失面積も比べてみた。 特別、ヒーローの活躍で森の被害が減るということはなかった。 ヒーローのいない藩国とも比べてみたが、ヒーローがいることで被害が有意に小さくなるという論文は見つからなかった。 有事に行われたアンケート調査でも、ヒーローは頼りにならないという回答が過半数だった。 数日かけて調べつくしたが、どんな好意的な調査でもヒーローが有意に役立つというものは見つからなかった。 客観的な数字として自分たちの活動と向き合うことで、私は今までのやり方ではダメだということを理解した。 【奉仕活動を通じて反省】 俺は多くの家屋を壊してしまった罪滅ぼしから、ボランティアとして街の復興を手伝うことにした。 そこである一人の老人と出会った。 その人は孫を探しているそうだった。 俺は行方不明の孫を助け、彼のもとに連れて行った。 家族の再会は静かなものだった。 祖父と孫は静かに手を握った。 喜びを声にあげることはなかった。 奉仕活動後の帰り道、俺はその行為を、まだ行方不明となっている他の家庭に配慮したものだと気がついた。 周りへの思いやり。 おそらくそれが俺に足りなかったものだ。 俺はそう確信した。 【お見舞いを通じて反省】 僕は病院へ被害者のお見舞いに行った。 多くの患者は僕との面会を拒否した。 僕は拒否しなかった患者の病室に向かった。 その患者は重傷で植物状態になっていた。 看護師は花を活け替えていた。 僕は尋ねた。 「その人は植物状態なんでしょう。  なぜ花を替えるんですか」 看護師は答えた。 「体が動かないからといって意思がないわけではないでしょう」 僕は死に瀕した患者を物のように扱っていることに気づき、恥じた。 気遣いという点において、この看護師のほうがよっぽどヒーローだと思った。 僕は変わろうと決意した。 【帰郷を通じて反省】 わしは田舎に帰った。 森は落ち込んだわしを癒してくれるようやった。 家の仏壇に手を合わせたとき、おかんの言葉を思い出した。 「病人とかケガ人見たら、アンタの代わりになったと思いや。  アンタが元気でおられんのは、あの人たちのおかげやで」 守りたい人を傷つけてまでヒーローしたないと思った。 けど、ヒーローはわしの性分や。 どうやったらみんなを守りながらヒーローを続けられるか、前よりも真剣に考えるようになった。