──akiharu国宇宙ステーション“AGEHA”周辺宙域にて。
宇宙。
大気もなく、重力もなく、周辺温度は生物の生存不可能領域。
おまけに常にそこら中を宇宙放射線が飛び交っている。
そんな過酷な環境を、1匹の猫が翔んでいる。
ただし、その猫は金属製で、9mくらいの大きさで、おまけに背中に一対の翼を持っていた。
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「テスト1、演習宙域に到達」
“猫”が──正確には、そのパイロットが──宇宙ステーションに通信を入れる。
『ステーション、テスト1の到達を確認』
スピーカーから少女の声が返ってくる。ステーションとの通信感度良好。
今日のオペレーターはいつものカマキリたちに加え、akiharu国で随一の宇宙戦スペシャリスト、かれんちゃんだ。
akiharu国の総力を上げて修復した彼女を、しかしいきなりテストパイロットにするのはいかがなものかという声が国内の至る所から上がり、結果として今回彼女は後方の情報処理担当となった。
「これよりターキッシュバン2宇宙改“シーキャット”の実動試験を行う」
『ステーション了解。シーキャットのモードを巡航からミリタリーへ切り替えて下さい』
“シーキャット”つまりは海ねこ──第6世界群の一部に生息する翼持つ猫──が、その機体の名であった。
「テスト1了解。モード、ミリタリーへ切り替え」
先程まで後部席で眼鏡を拭いていた猫耳のコパイロットがコンソールを操作すると、機体の動きが変わり始める。
ぐるるると威嚇音を発するエンジン。背中の毛を逆立てるように可動チェックを行うベクタードスラスター。
そう、それは獲物を見つけた猫のように。
『現在、その機体には戦闘機動マニューバがほとんど搭載されていません。
エンジン配置や推力が違いすぎて既存機のマニューバは流用不可能でした。
ヒーロー協会でも上位のパイロットである貴方に、マニューバの基礎をこれから作ってもらうことになります』
「りょーかい、ヒーローの名にかけてやってみせるぜ!」
声と共にペダルを踏むと、“猫”はその身に秘める野生動物の獰猛さを解き放った。
予想外の加速。まだ軽く踏んだだけなのに。思考するより先に息が詰まる。
(おいおいどういうことだよ。宇宙機ってでかければでかいほど速いんじゃなかったのか? 9m級ってニューワールド宇宙機最小クラスだぞ?!)
『シーキャットは9m級I=Dですが、脚部の大規模積載スペースを利用し、片脚につき1基ずつ12m級I=Dの胴体搭載相当のエンジンを搭載しています。
これだけで標準の9m級機体と比べて推力は単純計算で4.5倍。加えて両肩、背部のサブエンジンもあります。
もちろんエンジンや装甲の増加で全備重量は著しく増加していますし、武装用に発電が必要であるためエンジン出力の全てが推進に使われるわけではありません。
しかし、それでも元が9m級なので、最終推力比は同クラスの追従を許しません』
「なるほど了解。“大きさの概念を捨てるんだ!”ってことね」
『平たく言うとそうなりますね』
いや肯定されても、とパイロットは思ったが、すぐにプロフェッショナルの表情に戻る。
先程は予想外の加速だったために驚いてしまったが、“そういうもの”だと割り切れば対処は出来る。
いきなり猫に引っかかれれば驚くが、あらかじめ猫は爪を出すものだとわかっていれば気を付けられるのと同じ事だ。
「この猫はうちの猫らしくそうとうわがままだぜ……!」
後ろからコパイロットの抗議が聞こえるが、無視。冬になるとこたつで丸くなって何もしない種族は十分わがままだ、とパイロットは毒づいた。
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全身のスラスターをマニュアル操作しながら、予定されていたマニューバをこなしていく。
フライトマニューバだけではなく、要所要所で待機しているコールドオータムに着艦。武装を換装して攻撃マニューバへ。
レーザー主砲。レールキャノン。レーザーガン。そしてミサイル。
換装の度に機体の重量バランスは変化するため、その調整が必要だ。
実際のところ、静止状態での狙撃はどの機体であろうとも大差はない。
が、しかし。宇宙機に静止狙撃なんてものは有り得ない。
空気抵抗のない宇宙では、逆噴射しなければ最初に噴射した方向に飛翔し続けることになる。
故に、宇宙では常に飛翔しながら、それでなお長距離狙撃を必中させるという高難易度の操縦が必要とされる。
今回、ヒーロー協会でも生え抜きのパイロット──akiharu国のエースパイロットはヒーローを兼ねていることが多い──が選ばれたのもそのためだ。
とはいえ、今回バーニアの操作は主にコパイロットに任せられていた。マニュアル操作で全部はさすがに無理というわけだ。
また、コパイロットにはやはり猫妖精達が選ばれていた、バーニア操作で機体が不正回転するのを防ぐのには、猫の感性が良いだろうという判断だ。
パイロットが担当する推進器は両肩、両脚、そして“翼”の6箇所。つまりは可動肢部分だ。
推進器そのものを傾けることによる推進方向変化。これは人型宇宙機の売りではあるが、それをここまで全面に押し出した機体もそうはあるまい。
──加えて、四肢以外に可動推進肢を持つ機体のマニューバは、可動テールスラスターを備えていた士季号に慣れ親しんでいたakiharu国にしか作れまい。
そういう自負もあった。
当然ながら、宇宙には重力がない。そして、無重力状態では、機体の向きが常に固定されるわけではない。
たとえば、腕を振れば体が回転し、実弾を撃てば反動で位置や姿勢が変わる。
特にシーキャットの手持ち最大の武装であるレールキャノンは高速で弾体を射出するため、反動も大きい。
当然ながら、姿勢が崩れた状態で狙撃など出来ようはずもない。
加えて、宇宙戦の戦闘距離はあまりにも広大だ。
射角がコンマ数度ずれただけで最終命中地点がまったく見当違いの場所になってしまう。
故に、反動を出来るだけ殺すよう、逆噴射可能な位置にバーニアを配置するのが定石である。
しかし、逆にその反動を利用するのが可動肢型エンジン配置というわけだ。
手脚を用いた姿勢制御は宇宙飛行士が船外活動の際に用いられるが、シーキャットのそれは更にその仕組みを極端化し、エンジンのような機体の中でも大質量の部位を振り回した反動で機体の向きを調整。同時に対応した部位のバーニアを噴射することで繊細な姿勢制御を可能にするシステムであった。
……当然ながら、この段階ではそれを計算するソフトウェアは、まだ基本的な動きにしか対応していない。
言わば、よちよち歩きの子猫に狩りの仕方を教えるのが今回のミッションであった。
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「ふう……しかしマニュアル操作は疲れるなあ。いや俺達の動きが今後の操作簡略化につながるとはわかってるけど……」
後部座席からにゃあ、にゃあ。と声が二つ。コパイロット達も同意の様子。
akiharu国の猫の中でも特に知識に長けた鬼畜眼鏡たちであったが、さすがに微調整に次ぐ微調整からなる今回のミッションはこたえたようだ。
「この機体にも人格OS乗せれば良いんじゃないの? それなら機体自身が考えて動いてくれるだろうしさー」
それは一般のakiharu国民の、そして共和国全体で考えればかなり異端の論理であった。
もとより機械も生き物として扱い、その辺をI=Dより強いカマキリや100m級猫が歩く国である。
“シーキャット”という種族の国民が増えたところで迎え入れてしまうのがこの国の懐深いところで、危ういところであった。
『しかしそれでは他国の社会制度が追いつきません。
それに、宇宙にはまだ賑やかさが足りません。……宇宙はまだ、新しい命を迎えるには寂しすぎます』
宇宙を生活の場としている生命は、ニューワールドのごく一部にしかすぎないのだ。
「えー」
色々と行くところまで行ってしまっているakiharu国はともかく、他の藩国は怪獣やメタルボディなど、新種族を迎え入れるたびに対話と試行錯誤の繰り返しである。
“新種族としてのI=D”を良しとする社会システムなしに気軽に送り込んでも、そこには不幸しか生まれないことだろう。
まだまだ全国がゴージャスタイムズになるには遠いのだろうか、とかれんちゃんはコンマ数ミリだけ眉をひそめた。
──思考領域が余計な考えに使われている。今はミッションを遂行しなければ。
メモリから先程までの思考を解放すると、平坦な声で告げる。
『あと、自分の実力不足を機体に押しつけないで下さい』
「ですよねー」
『わかっているのならば構いません』
とは言え、軽口を叩く余裕があるのならば今回のミッションは大丈夫だろう。そう、かれんちゃんは判断する。
『ちなみに今までは出力を抑えて進めてきましたが、ここでスロットルを全開にすると』
「ほいほい全開と」
『Gで死にます』
「ギャー!」
叫び声の後、しばらく続く無言。ステーションのオペレータルームも無言。
さすが真空の宇宙だ。無音だね! と言うボケをかませる人材は残念ながらいなかった。
『……テスト1、生きてますか?』
「…………」
『ドラッグ注入』
「ヒャッホー!」
どうやら生きていたようだ。かれんちゃん以外のオペレータ達がほっと胸をなで下ろした。
「あ、あと少し変身が遅ければ二次元人になるところだった……!」
パイロットは薬の効果もあってかガタガタ震えている。
コパイロット席の猫妖精たちも、鬼畜眼鏡らしくクールな態度を取ろうとしているものの目がぐるぐるしていた。
『大丈夫です。ヒロイックパイロットスーツ開発時にも皆さんそう言っていました』
「アレはヒーロー協会に伝わるジョークじゃなかったのか……!」
『事実です』
「事実は小説より奇なり……!」
戦慄するパイロット。
だが彼は知らないだろう。今彼が乗っている機体の設計者、橘もまた、かれんちゃんの不注意で生身のまま宇宙に打ち上げられ、二次元人になったことがあるのだ。
つまり、困ったことにこの一連の流れはもはやお約束の域に達していた。
『それはそうとして、せっかく変身したのなら限界出力でのマニューバを組みましょう。
常人ならば死んでしまう動作にシステム側で制限を掛け、耐えられる状態を絞り込めば、最高出力状態も実用できるはずです』
「む、無理! これ以上は死んじゃう! ほんとに!」
淡々と告げるかれんちゃんに、焦るパイロット。けれども通信機から聞こえて来た返答は、
『貴方が真のエースパイロットなら出来るはずです』
「無茶振りだー!」
『いえ、事実としての話です。
私が昔在籍していた太陽系総軍での機動兵器パイロットはほとんど皆多かれ少なかれサイボーグ化していましたが、一部のエースパイロットはサイバー化することなく、まるで機体が自分の身体の延長であるかがごとく操っていました。
そしてニューワールドにもその域に達しているパイロットが複数確認されています』
「いや無理だから! さすがにその領域には達してないから!」
『そうですか。しかし困りましたね。それではデータ不足で、今後シーキャットは出力に制限を掛けた状態でしか使えません』
「むう……俺としては今のままでもいい気はするんだけど、でも全力出せないのはもったいないよなあ……」
パイロットが唸っていると、後部座席からヘルメットをこづかれた。シーキャットのコックピットは狭いので、こういうことも多々ある。
「お前それでもakiharu国民かニャ。このグズパイロット」
「陸上機は動かせても宇宙機は無理? そんなのじゃその赤いマフラーが泣くニャ」
さすが鬼畜眼鏡。口がとんでもなく悪い。しかも二人がかりで罵倒してくるのでたちが悪い。
「いや待てお前ら、いくら俺がakiharu国民といえども、さすがに絶対失敗することはやらないぞ! いのちをだいじに!」
焦るパイロット。さすがに先程うっかり涅槃を見かけたのでいつもの無謀な勇気も今は出なかった。
「そんなことは誰も言っていないニャこのダメパイロット」
「『人と同じ事やっても面白くないじゃない』これがうちの国だニャ?」
自信満々に腕を組む鬼畜眼鏡たち。さっきまでぐるぐる目を回していたとは思えないほど偉そうである。
『他に解決策があるのですか?』
思わずかれんちゃんも聞き返す。
メモリに浮かぶはかつての太陽系総軍のエース達。自分は名パイロットであったが、その域には未だ達せていない。
「簡単なことニャ。マシンを自分の手足にしようだなんて身勝手なことを考えるから難しくなるのニャ」
「マシンの言いたいことを聞いてあげて、代わりに自分のやりたいことを手伝ってもらうのが大事なのニャ」
一拍の間。
『……先程言いましたが、シーキャットには人格OSを搭載する予定はありません。
社会制度もそうですが、人格OSを載せるとソフトウェアが複雑化し、各国でライセンス生産することが難しくなります』
残念そうに繰り返すかれんちゃん。結局何も解決しないのだろうか。
だが。
「──ああ、そういうことか。わかったぜ、眼鏡s!」
パイロットだけが一人、その真意を理解していた。
『どういうことですか?』
「かれんちゃん。俺達はakiharu国民なんだよ。OSがどうとか、そんなことは関係ない。うちの国じゃ、昔っから機械だって生き物なんだよ」
エンジン音に耳を澄ませる。振動を肌で感じ取る。コンソールに表示される全データに目を通す。
パイロットは思い出す。
カマキリたちが改良して、バイクが野生化する前から、番長ヒーローたちはバトルマンティスと一心同体だった。
どうやっているのか聞いたら、「ハァ? お前には聞こえないのか? こいつの声がさ!」と酷く呆れられた。
その時は理不尽に思ったものだが、今なら分かる。
マシンたちは常に乗り手に自分の状態を示し続けているのだ。ただ、それがちょっとわかりにくいだけで。
(俺にはマシンを手足みたいに操るなんてどうやったって無理だ。
だけど、力を貸してもらえるようにお願いして、共に歩むことなら出来る!)
息を吸って、吐く。少し喉が渇いたので、備え付けの砂糖水で口を湿らせる。
(……準備OK。それでは、スピードの向こう側を見に行こう!)
「行くぜ眼鏡s! 全力全開だ! サブは任せるから平面猫になるなよ!
Tシャツに貼り付いてもお前らみたいな性悪は着てやんねーからな!」
「言ってろニャ」
「先に音を上げるニャよ?」
軽口を叩き合うと、彼らは一斉にペダルを踏み込んだ。
シーキャットは乗員の想いに応え、その翼を力いっぱい真空の宇宙に羽ばたかせる。
……それはただの噴射炎かも知れないが、ここではこう表現するのが正しいことだろう。
なぜなら、パイロットたちは機体を生き物として尊重し、共に翔ぼう、と語りかけたのだから。
そして彼らの試みが成功したかは──……
『驚きました。まだまだ視野が狭かったようです』
──かれんちゃんが笑顔を浮かべたと、それだけを記せば事足りることだろう。