筆者が住んでいた実家では、向こう三軒両隣がカマキリの家だった。
 そのせいか、旅行者によくカマキリについて聞かれることがある。
 カマキリになじみのない知類からすると、カマキリはどういうものなのか興味があると思う。
 だがまた、akiharu国以外では暮らしていない筆者が、カマキリ一般について語るのもおこがましいとは思う。
 そういうわけで、これから話す内容はあくまで私が会ったことのあるカマキリの思い出話とさせていただく。
 あくまでも記憶継承がカマキリの基本能力であった頃の話なので、それを踏まえて読んでいただきたい。
 
 カマキリの生活は変化に富んでいる。
 少なくとも人間の私はそう感じる。
 春、小さな子供として生まれ、夏から秋ごろには体格的に人間よりも大きくなり、冬、死んでいく。
 これが多くのカマキリの一生である。
 むろん、なかには冬に至る前に死ぬ者もいるし、冬を越す者もいる。
 また、死ぬといっても、昔は産卵によってある程度の記憶と知識は継承されていたため、人間の死とは同一ではない。
 だから、厳密には一生という表現も不適切なのかもしれない。
 こう聞くと、カマキリは他の知類とは大きく異なる生物かと思われるかもしれないが、私はそうは思わない。
 見た目や性格は多少違うが、人間と同じく、目と口が顔にあり、腕と脚が左右対称にある。
 料理でたとえれば、ハッシュドビーフとビーフシチューぐらいの違いで、ほとんど差はない。
 最近では卵への記憶継承をすることもなくなり、ごく普通の誕生となったため、より一層近付いたとも言えよう。
 そう筆者は感じた。
 
 カマキリに限らずakiharu国民は、総じて前向きかつ積極的で元気がいいというイメージがあるかもしれない。
 しかし、私の幼なじみのカマキリはそうではなかった。
 彼女は控えめかつ心配性の恥ずかしがり屋だった。
 筆者は恋人として彼女と付き合ったこともあるのだが、彼女はよく自分が死んで私を悲しませないか心配していた。
 さいわい、私の恋心はその程度で止められるものではなかった。
 たしかに毎年、冬は彼女のいない生活を送るため、さみしさを感じていたが、おかげで彼女のいるありがたさを深く理解できた。
 また、春に卵から出てくる彼女を抱きかかえるのは何度やってもうれしかった。
 カマキリの記憶継承は常に完全ではないらしく、どの記憶が残り、どの記憶が消えるかは運もからむようであった。
 だから、筆者は彼女とお互い日記をつけ、見せ合うことで、それを補完していた。
 あるとき、私がキスしてもいいかたずねると、彼女はうっかり私を捕食してしまわないか怖いからと拒否した。
 もちろん、人を頭から丸かじりするような本能を持つカマキリは歴史の中にしかいない。
 私は彼女の妄想癖に笑い、そんな肉食系も悪くないと言った。
 彼女は後翅を広げ、赤くなり、顔を大きく左右に振った。
 私はゆっくりと近づき、背伸びをして彼女にやさしく口づけをした。
 キスが終わったあと、しばらくの間、彼女は直立不動だったが、口の左右の感覚器だけは落ち着きなく動いていた。
 そんな彼女も今では手をつなげないほど大きくなった。
 おかげで筆者は雲一つない空というものが割とよくあるということを知った。
 彼女は、どうせ冬を越すのならもっと美人に生まれたときにそうなりたかったと私にもらした。
 内巻きの触覚が気に入らないらしい。
 もちろん、カマキリの外見は卵から生まれるたびに変わるのだから、容姿で好きになっていたら彼女との付き合いは一年で終わっていただろう。
 そのことを彼女につげると、いつも後ろ向きでごめんと私に謝った。
 
 私にはもう一人、幼なじみのカマキリがいる。
 彼は他国民が想像するような典型的akiharu国民だった。
 学業成績は群を抜いて高く、恋も遊びも積極的な男だった。
 学級委員や生徒会長、野球部主将など、リーダーシップを発揮する場所では公私問わず活躍した。
 当時、おおよそ彼には怖いものなどないように私には感じた。
 彼は、停滞が怖いから常に安定した足場を壊そうと努力していたと、私に話してくれた。
 筆者と同様、彼も怖いものは怖いようだ。
 だが、彼はそれ以上に怖いものがあるため、自制し、苦痛を乗り越えてきた。
 冬に死ぬカマキリは、もし卵になにかあれば、それで人生が終わってしまう。
 そして、卵は安全な場所で保管されているとはいえ無防備で、災害やテロが起きれば簡単に死んでしまう。
 記憶を受け継ぐカマキリも、他の知類と同じく、人生は一度きりである。
 やり直しはきかない。
 次の春には生まれてこないかもしれない。
 だから、たとえ一時的に望ましくない結果をもたらすとしても、悔いの残らぬよう、変化を起こし続けることが彼にとって最良の選択だった。
 彼は古い慣習にとらわれず、おもしろい文化をどんどん取り入れた。
 新しいアイデアを練りなおし、現場に合う形で提案することもあれば、古くなり捨ててしまったアイデアを復活させることもあった。
 すべてがすべて合理的ではなかったが、多くは妥当なものであったと筆者は記憶している。
 だが、彼もときには理解を得られず、反対を受けることもあった。
 また、みんなの賛成を得られても結果が伴わないことがあった。
 そういうとき、彼は策を弄することなく、裏表のない態度で正面から相手と話し合っていた。
 たとえば、こんな風に。
 「私はあなたの言っていることがよく分かりません。どこが分からないかもよく分かりません。私が分かるように説明していただけませんか」
 「私は興奮していて、自分の考えをうまく伝えられせん。この話題はまたの機会にしませんか」
 どんな問題も最終的には落ち着くところに落ち着くと彼は考えていたようだ。
 彼は機知に富む会話が得意で、冗談を言って場をなごますのがうまかった。
 深刻な状況でも彼がいるとなんとかなるような気がしてくるのだ。
 そんな彼も私たちと同じように日記をつけていることを最近知った。
 彼は、そのとき何に関心を持ち、どう反応し、その結果どうなったかを日記に書いていた。
 また、読み返すことで、自分の問題点を客観的に知る助けにもなったようだ。
 
 筆者の身近なカマキリに確認したところ、ほとんど全員が日記をつける習慣があった。
 日記を書いていない者も、体が大きくなり、記録に適した筆記用具が使えなくなったため、やめたとのことだった。
 むろん、ごく偏った集団なので、それが他のカマキリに当てはまるとは思わない。
 だが、少なくとも私の知り合いはみな日記を書いている。
 記憶継承が出来なくなったから、少しでも自分のことを書き留めておきたい、と述べた者もいる。
 もしかしたら、カマキリが人知類より理性的と思われているのは、この習慣があるからかもしれない。